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日本橋箱崎 関モータース

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(写真は当時)

 弊社は今は千代田区丸の内にありますが、以前は中央区日本橋箱崎町というところにありました。日本IBMの本社のすぐ近くです。

 この夏になると、オフィスのすぐ隣にあった箱崎の自転車屋さん「関モータース」さんのことを思い出します。私は、ある暑い夏の日に家からの通勤用の自転車がパンクして、ちょうどオフィスの隣に自転車屋さんがあったので修理に出しました。入口から入ってみるともぬけの空で、何度か「すみませーん」と大声で呼んでみると、ご主人が出てきました。お年は召されているもののまだまだ現役で自転車修理をこなされ、私のバッテリー付きの重い自転車も持ち上げていました。でも夏は暑いから、早めに店を閉めちゃうとのことでした。

 パンクの修理を頼みつつ、何気なく「ご主人いつからこの商売始められたんですか?」と聞いてみると、なんと生まれも育ちもここ日本橋箱崎で2代目とのこと。もともとは箱崎の別の場所に店を構えていたけど、東京オリンピックで高速道路が建設されたのに伴い、この地に転居されたそうです。そして、いろいろ話を聞いてみると戦争の話もしてくれました。東京大空襲の際中学生で、この辺りは直撃は免れたけども小網町のほうから火が迫って来る様子を家の屋上から見ていたそうです。

 いよいよ火が迫ってきて永代橋のほうへ逃げたけど、こちらから逃げて永代橋を渡ろうとする人と同じくらいの人が向こうからも橋を渡って逃げてきたそうです。実体験に基づいた、本当のパニック時の状況が色褪せることなくありのままに私にも伝わってきました。そして隅田川には、お亡くなりになった方がたくさん浮かばれていたそうです。たった70数年前、今自分が立っているこの場所でそのようなことが現実に起こったこということを、まざまざと感じ取ることができました。

 その他に貴重な昭和の歴史をお伺いすることが出来ました。私はそれからも折に触れ挨拶したり、買ったばかりの息子の自転車にはカゴをつけてもらう約束もしていたのですが、数週間後息子と自転車と共に尋ねてみるとシャッターが閉まり事情により廃業されたとの張り紙がありました。健康面で何かあったのかとても心配していますが、こうした昭和の時代を生き抜いた先輩たちの生の声を聴くというのは、本当に貴重な経験で大切なことだと思いました。

 そして、直してもらった自転車は今も息子を乗せて全く問題なく走っています。

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