一身独立の記

6歳の素朴な疑問

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 6歳の息子から、ふと「パパなんで日本は戦争で負けちゃったの?」と聞かれた。6歳からそんな質問が出るとはぼくも驚嘆した。さらに幼稚園のお友達には「戦争がはじまった理由についてくわしくしりたいです」と堂々と述べていた猛者もいるとのことだ。

 ぼくはもちろんそれに対して、一定の答えを伝えることは出来る。しかしこうしたことを幼稚園の頃からどこまで教えるべきか、少し思い悩んだ。

 ぼくが子供のときの大人たちはどうだったかというと、そうした質問に対してお茶を濁し「それは大人になったら自分で勉強しなさいね」などと、はぐらかすことが多かったのではと思う。

 これはその前の世代からかも知れないが、そこで事実をきちんと伝えずにはぐらかしてきたからこそ、子どもたちはこの問題に対してなんの知識を持たないまったくの無防備のまま成長し、やがてその「まっさら」な状態に、日本を貶めようとする意図を持った人々が現れ、事実でないことを刷り込まれ洗脳されていってしまったんじゃないかと思う。

 あれから30年以上たった今はどうか。基本的な流れは変わっていないが、今、戦後の枠組みの中で構築された世界が大きく変わっていく中で、少しずつ日本や戦争に対して見直しが行われている風潮を感じる。

 だからぼくは、妻にもたしなめられながらも、自分自身がこれまでに歴史について学んできたことを、少しずつ息子にも伝えている。ただし決して結論を言ったりはせずに、ありのままの事実だけを伝えるよう心がけている。

 たとえば、戦争がはじまったときの世界の状況、白人による有色人種支配と世界の植民地化、日本が唯一有色人種として白人に立ち向かったこと。中国は白人側についたこと。朝鮮と台湾は条約で日本となったこと。アメリカに生命線の石油を絶たれたこと。石油がなくなるということはあの時代に国を守ることができず、国の存亡に関わる危機的なことだということ。国がなくなるとはどういうことかということ。戦後、戦勝国に戦犯と認定された人々が処刑・処罰された東京裁判で唯一、インドのパール判事が日本は無罪といったこと。戦争が終わったらアジアの国々は皆独立したこと。こうした事実を教えることで、本人に自ら考えてもらうようこころがけている。

(余談ではあるが、ぼく自身も大学生までは「まっさら」であった。アメリカの語学学校で知り合った韓国人の友達に、「日本人は残酷で悪いやつらだけどおまえは違う。特別だ。友達だ。」といわれたとき、思わず 作り笑顔で、”Thank you :)” と答えてしまったことをいまだに後悔している。この体験が心にひっかかり、本当に日本人は残酷な民族なのか?自分の祖先たちは悪逆非道の限りを尽くした野蛮な人間たちなのか?という疑問から、自分なりに学び、考え、自分なりの真実を求めてきたつもりである。)

 もちろん、それら事実の取捨選択にぼくの主観が入ることは否定できない。しかし、それはそれでよくて将来もっと深く考えるきっかけとなってくれればよい。ぼくの説明にいつしか疑問を感じることがあるだろう。そのときは自分で事実を調べて考えてくれればよい。それよりも「まっさら」な無菌状態で大人になってしまって、何らかの悪意をもった人たちに洗脳され利用されることだけは、親としては避けたい。(と妻にも説明した。)

 結局はロジックの力だと思う。なんで戦争をしたのかという問いに対して、ある人達がいう「(ひい)おじいさんたちは悪い人たちだったから」などという、めちゃくちゃな答えでは決して納得できないのは当然である。(ひい)おじいさんたちはぼくらと全く変わらない人間なのは6歳の子供でも当たり前のことで、その(ひい)おじいさんたちが当時どういう状況におかれ、何を考えてきたのかきちんとロジカルに考える、自分で判断する力を子供の頃からつけさせるよう、親として努力している。

 そうして息子とともに考えていくと「何故戦争がはじまったか?」というより、「何故負けたか?」というほうがずっと難しい問いであることにふと気づき、最近自分なりに調べなおしながら考えている。

 ぼくもやはり戦後教育でいつの間にか思考にフタをしていたのだろうか。自分の息子だからというわけではないが、この何気ない純朴な疑問こそが、戦後レジュームから脱却し来るべき新しい世界の中で生きていく上で重要ことではないだろうか。

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